ただのDQN親なのでは?1

うちは家族が揃っている時には、いつ食べ始めていつ食べ終わったかがはっきりとわかるからしっかり言う派。チビッコには割とうるさく食事マナー指導もしてて、その指導時間の開始と終了宣言でもあるのかも。我が家はいただきます〜ごちそうさま間は席を立ったりテレビを見たりトイレに行ったりは禁止。箸はきちんと持ち、肘はつかず、音を立てて噛まず、何があっても食べ残しは許さん。でもなかなか美しい食べ方にはなってくれないのだ。希望は「きれいな食べ方の大食漢」。かなりカッコイイしモテると思うんだけど道は遠いぜ。

 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

学校の集団生活は何するにしてもせーのと号令掛けないと多人数が動くきっかけがつかめなくてグダグダになりがちなので「いただきます」は食事を開始する合図、「ごちそうさま」は終了そして片づけ開始の合図に使ってるだけで、元は宗教的なものであったかもしれないが今はただの記号になってると思う。感謝表現だなんて全然意識してないけど、「いただきます」「ごちそうさま」はとりあえず言っといたら目の前の食事に関連するすべてのもの、調理した人だけじゃなくて、給食費払ってくれた保護者だとか、食材になった命だとか作った人だとか、食べられるまで成長させた日光だとか餌だとか肥料だとか気候だとか大気だとか地球だとか宇宙だとか、食物連鎖に連なるすべてのものに対して一言で感謝できる(気になれる)便利な言葉っぽいので、他に言い代わる言葉もなさそうだし、使わない理由はないと思う。

この母親は、食事の挨拶は「作ってくれた人に対しての感謝表現」であるとの認識から、学校給食を作ってくれた人に対して給食費という対価を支払っているので感謝する必要はない、と考えているのかな。それとも特定宗教を信仰していてその教義に反するのでやりたくないのか。まあどっちでもいいけどね。よその家のことだし。

こういう母親に育てられた子どもの食事マナーってどんな風なのかな。たとえ食べ方が汚くてもマナーが悪くてもこういう母親って「これが我が家の教育方針であり子どもの個性です」って自信満々でいいそうやん。