理由あれこれ

産みたくない理由・産まない理由はわりと挙げやすいんだけど、産みたい理由・産む理由というのは表現しにくいなあ。

はてなブックマーク - 産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書く、また
はてなブックマーク - それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

産むとか産まないとかに理由をつけようとしたとき、出産前までの人生経験による判断基準で理由付けすると断然マイナス要素が多いから産まないことを選択する人が多いんだと思うんだけど、実際のところ出産後には出産前までとはまったく違うステージに突入しちゃって出産前の判断基準が通用しなくなるので、事前に考えたり理由付けするだけ無駄な気がする。
子どもを持つとそれまでの自分の考え方やら何からすべてが一度再構築されるんだよね。いったん親ステージに入っちゃうと、それまでの自分が持っていた、こうあるべきだからこうなるはずだという理屈や経験則がまったく通用せず思い通りにはならない存在=我が子に直面することになってこれ以上はないくらいイライラするんだけど、弱くて頼りなくて自分では何もできない足手まといの存在である我が子を自分自身より優先することができたとき、これまでとは別のルールで進む別ステージに自分がいることがわかるんだよね。単に我が子のペースで時々の流れに身を任せて物事を進めたほうが手間がかからないし、そっちのほうが絶対に楽なことに気づいただけなんだけど、自分以外の人間を優先することが今までの人生にはなかったので、目からうろこというか世界観がころっと変わっちゃって、自分は親という新たなステージに突入したんだなあと自覚したのだ。(そこでそれまでの自分を引きずったままだと、理想と現実との間に齟齬が発生して折り合いがつかずノイローゼとかになっちゃうんじゃないのかな。)
新たに親ステージに入ると、以前は我慢できなかったことが我慢できたり、許せなかったことが許せたり、楽しいと思わなかったことが楽しかったり、それまで自分が使ってなかったチャンネルが開いた、と書くとアレな感じだけど、自分の中で眠ったままだった新たな機能に気付いて間口が広がった感じがする。

今の自分の生活は、出産前の基準で考えると間違いなくマイナスばかり。何もしてなくても金は掛かるのに、親としてこれくらいはやらせたいという欲もあるから出費は増えるし。でも「うちは貧乏」って自分と子どもに言い聞かせて余所と比べず上を見ず慎ましく生活してれば、経済的な面はなんとかやりくりできるんだけどね。つーかなんとかならなくてもなんとかしないといけないのが親となった以上逃れることのできない責任で義務なんだと思うよ。やりはじめると途中でやめたくてもやめられないから嫌でもクソでもどうやってもやんなきゃいけないんだもん。そしたらやるしかないからさ。
と、経済的には大変っちゃ大変だけど、子どもの成長だとかそれに付随する悲喜こもごもの感情、経験、人間関係、子どもがいなければできなかった出来事全般はそれはもう何にも代え難くすんごく面白いので、親ステージの基準で見るとものすごい勢いでプラスだと言える。自分の場合は。
そんなふうに親ステージを楽しめる楽しめないは個人の物事の捉え方に左右されるので、自分が楽しく面白いと思っても別の人には全然そうでもないかもしれない。何やるにしても基準値がそれぞれ違うから、子育て楽しいっスよ〜絶対おすすめ!とは言えない。まあすすめることでもないし、好きにしたらええやんと思う。

というわけで理由を求める人に経験者としては、あれこれ理由づけするよりも機会があるならチャレンジしてみればいんじゃね?くらいにしか言い様がない(でも言わないけどね)。何も考えずにできちゃった結婚、そんくらいの勢いといいかげんさがあったほうがいいのかもなーと。事前にいろいろ計画してても子どもって全然自分の思い通りにならないものなので、出たとこ勝負で臨機応変、そんな状況に対応できる能力を持てるよう親も親として成長していけば上手くいくんじゃないか。

ただ、うちの妹たち(未婚)には結婚はしなくてもいいけど子どもは産んで欲しいと思ってるから!うちのチビッコふたりに負担掛かったらかわいそうだよー。自分の葬式で自分の棺をかついでくれる人材くらいは自前で確保して欲しい。もしチビッコたちに担がせる予定にしてるんなら今から小遣いくらい渡しといてな!