母の日殺人

「誰でもよかった」という殺人に対する欲求が家庭内で解消されたのは言い方はよくないけど不幸中の幸いなのかなあ。心の動きがまったく感じられない犯人の少年くんは、すでにもうあっち側に行っちゃってそうな雰囲気。虚無の世界に取り込まれたというか、壊れてるっぽい。

子どもの成長はある時期まで親が方向なり形なりをコントロールできるのだが、一定ラインに達して以降は親は黙って見守る・たまにヒントを与えて方向微調整する程度で子ども本人におまかせしておけば、子どもの世界での経験や知識が自然と積み重なっていき、ひとりの人格がだんだんと形成されていくのではないかと思っている。
おまかせしていれば好き勝手な方向へ伸びていくんだろうけど、幼少期に成長の土台となる人格基礎工事部分(躾とか一般常識とか)を親がしっかり監督しておけば、人間として進むべき道筋から大きく外れるような方向へ行くことはなさそう。基礎工事がお粗末だと変な方向に成長してしまって、気づいた親が修正しようと口を出すと衝突するだろうけどね。子どもの成長の方向と親が望む方向とは必ずしも一致しない場合があるけれど、それを子どもの個性として受け入れられる親なら想定の範囲外の成長として楽しめそう。親の望む方向へ無理矢理方向転換させようとすると衝突するだろうけど。

ただ、頭のよい子だと親がきちんと手を掛けていたとしても計り知れない方向へ伸びていっちゃう場合があって、それが人間として進むべき道筋から逸れてたとしたら取り返しのつかないことになってしまうのかもしれない。

それと、犯行後にネットカフェに寄ったことを必要以上に強調してる報道姿勢は、やったかどうかもあきらかではないのに、犯人が2chへ犯行予告→ネカフェで犯行報告したよという方向に持っていき、これだからネットは!と叩きたいマスコミの姿勢が見え見えでムカつくわー。たぶん犯人くんはそういう自己顕示欲的な部分は通り越してると思うぞ。