本村さん

無期懲役という地裁判決が出て涙する、当時の本村さんからは妻子を失った夫の悲しみや悔しさが、犯人が死刑にならずに刑務所から出てきたら自分が殺すという発言からは復讐心をあふれ出ていた。しかし、今回の死刑判決後の本村さんからはそういう生々しい感情の部分がほとんど感じられなかった。あの若き日の姿と比べると、本当に本村さんはいろんな意味でずいぶんと遠い場所まできちゃったんだなあと思った。

山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、元少年に死刑判決を言い渡した。遺族の本村洋さん(32)は判決を受けて会見した。会見の詳細は次の通り。

 −−今の心境を。

本村 これまで9年の歳月がかかってきましたけど、遺族が求めてきた死刑判決が下ったことに関しまして、判決を下して下さった広島高裁には感謝しております。今回の裁判の判決の内容を全部聞いておりましたけど、裁判所の見解は極めて真っ当だと思いますし、正しい判決が下されたと思います。被害者遺族は司法に感謝して、被告人はおのれの犯した罪を後悔して、社会が正義を再認識し、司法が威厳を保つことで、民主主義、法治国家は維持されると思いますので、そういった判決が出たことを心から感謝しております。

 −−5月11日の夕夏ちゃんの誕生日にお墓参りをされるとお話しされていたが、予定通りお墓参りをされるのか? また墓前にはどんな言葉を。

本村 できれば早く墓前に報告してあげたいと思いますので、5月11日の娘の誕生日を待つ前にお墓の前に行く時間があれば行きたいと思っています。墓前にかける言葉っていうのは、まだ自分の気持ちも整理できていないので、まだありませんが、ただ一つのけじめがついたことは間違いないと思っているので、この判決の内容については報告してあげたいと思います。

 −−常に葛藤し続けてきたという思いを述べられていましたが、今の気持ちを。

本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。

 私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。

 −−今日の判決までに9年、長かった?

本村 時が長いか短いかは簡単に言えない。遺族にとっては長い月日。熟慮に熟慮を重ねた結果、出たのならば、判決は一層重みが増したものだと思いますので、来るべき時が来たものとしてこの判決を受け止めております。

 −−退廷時に被告が振り返って一礼したことについて受け止めを。

本村 私はこれまで、被告が退廷する姿を見ないようにしていましたが、今日は退廷の姿をずっと見ていました。彼の表情からはあまり感情を読み取ることできなかった。どこかで覚悟していたのではないかと思える落ち着いた顔という印象を受けました。

 −−死刑というものがあるからこそ迷い、悩んだと聞いた。判決を聞いてどうか。

本村 死刑という問題は、法治国家にとって古くて新しい問題で、答えはないものと思います。ただ、人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった。この判決を受けて、死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。

 −−判決を聞いている間、被告の背中をずっと見ていた。どのような思いで?

本村 今回の判決文を聞いて、まさに私が思っていた疑問をすべて解消しており、被告に聞いてほしかったことでもありました。すばらしい判決文だと思います。それを被告は聞いて、彼の残された日々を彼がどう受け止めてどう歩むか考えてほしい。真剣に聞いているのか、彼がどんなことを考えているか見極めたくて見つめていました。今日、彼が何を考えていたか知ることはできませんでした。

 ただ、彼は発言する機会を奪われたわけでない。本当に事実と異なれば主張すべきだし、うその供述をしたのなら悔い改めるべきです。彼の人生だったり、裁判で言ってきたことが差し戻し審ですべて反故にされた。少なくともいったんは犯行事実を認めて謝罪して反省したのに翻したのが悔しい。最後まで事実を認め、誠心誠意、反省の弁を述べて欲しかった。そうすれば、もしかしたら死刑は回避されたかもしれない。なぜ遺族の感情を逆なでして、ああいった供述をしたのか。心の弱さゆえにうその供述をしたのであれば正直に述べてほしいし、そういった心境や悔悟の念をくみ取る報道機関もあっていい。そして被告が反省した姿を社会に見せることが防犯の力になると思う。

 −−被告は傍聴席に一礼しましたが、どう感じましたか。

本村 最後に彼が一礼してくれたことは見届けました。彼がどういった心境で頭を下げたのか、まだ分かりません。ただ、判決文をしっかりと読んで、心から謝罪ができる日が来るよう願っています。

 −−被告の反省文は本村さんは開封はされるのでしょうか。

本村 いいえ。開封は生涯しないと思います。今回の裁判所の見解であったように、明らかに自らの罪を逃れたいがために書いた反省文であると思いますし、あれは彼の本当の気持ちが書かれていない可能性が高いと思っています。ですから判決以降に書かれた手紙であるなら読む準備があると思いますけれど、それ以前に書かれた手紙は生涯開封しないと思います。

 −−彼にかける言葉は。

本村 胸を張って彼には死刑を受け入れてもらいたい。胸を張れるまでには相当苦悩を重ね、自らの死を乗り越えて反省しなければいけないと思う。そうした境地に達して自らの命をもって堂々と罪を償ってほしいと思う。できればそういった姿を私たち社会が知れるような死刑制度であってもらいたいと思います。

 −−今回の少年は(犯行時)18歳。ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。

本村 そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。それは法律じゃない、勝手に作った司法の慣例です。

 今回、最も尊うべきは、過去の判例にとらわれず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。今までの裁判であれば、18歳と30日、死者は2名、無期で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが当たり前だったと思います。そこを今回、乗り越えたことが非常に重要でありますし、裁判員制度の前にこういった画期的な判例が出たことが重要だと思いますし、もっと言えば過去の判例にとらわれず、それぞれ個別の事案を審査し、その世情に合った判決を出す風土が生まれることを切望します。

 −−日本の司法に与えた影響については。

本村 私は事件に遭うまでは六法全書も開いたことがない人間でした。それがこういった事件に巻き込まれて、裁判というものに深く関わることになりました。私が裁判に関わった当初は刑事司法において、被害者の地位や権利はまったくありませんでした。それが、この9年間で意見陳述権が認められましたし、優先傍聴権も認められる。例えば今回のように4000人も傍聴に訪れたら、遺族は絶対傍聴できなかった。それが優先傍聴権があるために私たち遺族は全員傍聴できた。これからは被害者参加制度ができて被害者は当事者として刑事裁判の中に入ることができる。

 そういったことで司法は大きく変わっていると思いますし、これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。実際に裁判に関わって、まったく被害者の権利を認めていない時代から、意見陳述が認められて、傍聴席も確保できて、そういった過渡期に裁判を迎えられたことは意義深いと思ってます。

 −−今の裁判の問題点は。

本村 すべての問題が解決したわけではありませんし、例えば今回、9年という歳月がかかっている。これは非常に長いと思います。ですから今後、裁判の迅速化とか今後検証していく余地はたくさんあると思う。法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。

受け答えをする本村さんは揺るぎなかった。いろんなものと向き合った結果、いまの姿があるんだろうと思う。
弁護団が上告したことを告げられたときに本村さんは笑顔を見せた。笑顔なんて初めて見た。この事件が起こっていなければ普通に笑ってる普通のお父さんだったんだろうになあと思った。