授業参観というか、監視
悪いとは聞いていたがこれほどまでに悪いとは。いたずら的不良的悪さではなく、生活態度の悪さなのだ。学校にどうこうしてもらうとかいうレベルではない。各家庭で実態を把握・認識し、子どもに問題を自覚させ、指導・躾をしなければ、社会的人間的にダメダメ子になってしまうのではないかと非常に不安になった。
一応覚え書き。
- 姿勢が悪い
- きちんと座れない
自分の学生時代も、椅子に浅く腰掛けて寝そべっているような姿勢の生徒はいたがそれはくそヤンキーくんだとかの少数派で大多数はきちんと座っていたような気がする。しかし寝そべり座りの子が非常に多い。他にも机にはいつくばるようにして字を書く子、正面を向いて座れない子、足を通路に放り出す子、これらが男女の区別なく相当数いた。
- 人の前で話せない
- 人の話を聞けない
社会の時間、黒板前で各班が聞き取り調査した内容を発表していたのだが、まずきちんと立てない。始終身体が動きっぱなしで視線はさまよい正面を向けない。発表する声は小さく、はきはき喋れない。これでは内容が伝わるはずがないし、伝えようとしていない。というわけで、聞く側も聞いていて面白くないし、そもそも最初から聞いていない。
- 常時雑談で賑わう
授業中、普通に喋ってます。課題もやらないし、それに対し先生が注意しても反抗。
- 教室にゴミが散乱
一例として、隣の席の子の道具袋から勝手にハサミを取り出し、自分のノートを細切れにして手遊びに夢中、発生したゴミをそのまま床に巻き散らかして捨てる。ゴミを床に捨てることに対して罪悪感がまるでないし、「ゴミはゴミ箱に捨てる」という当たり前のことができない公共性のなさ。
注意されてゴメンナサイと素直に反省できない。必ず「でも」がつき、「自分が悪いんじゃない」とうそぶく。誉められたいという気持ちだけは強烈に持っているが、こういう生活態度だと必然的に注意をすることが多くなるわけで、だからなのか注意してもキレる。掃除をしていました→ふざけててガラスを割りました→先生が注意をしました→キレて教室を飛び出しました、なんて事件もあったらしい。自分たちの通っていた教室とは雰囲気が違う。できて当たり前のことができていないというか。その当たり前のことができていないのを「個性」と言うのは間違ってるのではないでしょうか。
我が家は一緒にいる時間のなさ(働いてるし)と親としての手の足りなさ(片親だし)もあり、いろいろ行き届かない面があると認識しているので、すみませんしっかりしますさせますがんばりますとしか言い様がないのだが、両親揃ってて一軒家に住んでてただいまーと学校から帰るとお母さんが家にいるようないわゆる「普通」の家庭で、子どもと会話ができないだとか子どもが言うこと聞かないだとか躾ができてないだとか、そういうのってアリな訳?とかって思うんですよ。アンタたちのほうが環境的に恵まれてるのになんでやれてない訳?とかって。そういう多数派の普通の家庭の子にしっかりして貰わないと困るんですけど。ただの欠損家庭の嫉妬ですかそうですか。
親の甘さが子どもに歪んだ形で伝わり、問題として表面化しているのかもしれないなあと我が身を省みてちょっと考えてしまった。これから(も)ビシビシ行くからな!