あしながおじさん伊達直人

この騒動をうけて我が子は同じクラスの施設っ子に「おまえんとこ伊達直人からなんか来た?」って尋ねたというフリーダムワールドの住人なのですが、これを「思慮なさ過ぎだろ」と叱ればいいのか「差別をしない子すばらしい」と誉めればいいのか、正直判断しづらいところ。どうなんだろうねえ。

今回の伊達直人多数は「寄付」じゃなく、「プレゼント」として贈ってるんじゃないのかなあと思うのです。

プレゼントは「あなただけ特別に」という誰かにとってのスペシャルな贈り物であって、公平に分配するもんじゃないし、貰う側にとって本当に欲しいものでした!うれしい!とハッピーアイテムというより「うれしいわーモノはアレだけどその気持ちだけはうれしいわー」なミサワ的なことも多い、どっちかっつーと贈る側の心情を満足させる行為だから当然ミスマッチもあるわけでさ。「施設に贈られたものは全員に公平に行き渡らなければならない」は施設の中の運営上のルールであって、外部の人がそういうことに頓着せずにプレゼントを贈るのは仕方ないし、そこに平等感公平感を持たせたいのなら、寄せられた善意を平等公平に分配できる、きちんとした寄付システムを施設側が整備しないといかんのでは。

児童養護施設へランドセル」なんて、昭和的な、まさに「タイガーマスク」時代の価値観で、自分の見知ってる範囲だけの話ですが、平成の施設っ子は物資的なところで困ってる様子はなさそうで(もちろん贅沢をしてるわけでもなさそうですけど)、より相手に喜んでもらえるプレゼントにしたいなら、事前にちょっとはリサーチするのがいいかと思います。相手もいろいろと欲しいものもあるだろうし。どんなときでもプレゼントするならリサーチくらいはしようぜってことで。まあ施設っ子が本当に欲しいのは、うちらなんかがプレゼントできるようなものじゃないだろうけどさ。

それと、プレゼントは、形のない「善意」という立場から貰うより、アニメキャラでも何でも「人格」から貰ったほうがうれしいんじゃないかなあと思うんだよね。

あしながおじさん」という話がありますが、原作は、作文コンクールみたいなのに入選したら「きみ物書きの才能あるかもだから大学行ってみたら?おれ金だすし」と匿名の篤志家からの学費援助を受けて大学進学した孤児院出身のヒロインが篤志家に対してのお礼の手紙を書くところから始まる書簡集形式になっていて、援助受けてる礼儀として月一くらいはお礼&現状報告しなさいよと院長先生に言われたヒロインが調子づいて月一どころか週一やそれ以上のハイペースで大学生活レポートをバンバン送りつけるという手紙テロに走るって話。

なんで「あしながおじさん」呼ばわりかと言うと、「名無し相手に手紙書くのもノリが悪いんで、今後は『あしながおじさん』って勝手に呼ぶことにして宛名にするわwヨロシク!」と、自分が受けた援助に対して人格を求めているからなんですよ。ときには「やっぱあしながおじさんなんかいなかったんやー」と凹み、でも花を贈られて「やっぱいるじゃんw」みたいな。自分のことを特別扱いしてくれる「誰か」という人格は必要なんじゃないのかなあと。たとえアニメキャラでも。

そのあたり、中の人も一緒になって、善意がうまいこと伝わるようになればいいなあと思います。偽善っていう人もいるけど、他人がやってることを偽善よばわりするなんておかしな話じゃん。人の心の中身なんて他人にはわかんねえだろって。

ところで、ひさびさにチビッコから施設関係の話を訊いたら登場する施設っ子の名前が全然違ってるんですけど。中学入学と同時に入所した子もいなくなってるし、小学校時代から継続して入所してるのはひとりしかおらず、どうやら入所者の出入りはかなり激しくなってる様子。いいかたちで親元に戻ってるならいいんだけど、どうなんだろう。退所した後についての情報はほとんど入ってこないからよくわからないのです。

彼らの転校は、学期の変わり目のようなキリのいい時期だけではなく学期途中にもあり、よくある「今度○○市に引っ越すことになりました、新しい住所は△△です」的なイベントもやらないので、いつのまにか来なくなってるから転校したんじゃない?みたいな、なんだかよくわからないうちに消えてることが多くて、単なるクラスメイトではその後詳細は全然わからない。そのあたり各方面のいろんな配慮があるんだろうけど、やっぱり切ない気分になる。